「鹿肉って、やっぱり臭いんでしょ」
ジビエの話をすると、十中八九これを言われます。一度どこかで食べて、それきりになった。あるいは、もらった鹿肉が冷凍庫に入ったまま、手が出せずにいる。そういう人は多いと思います。
私も最初は同じでした。自分でさばくようになるまで、鹿肉はそういう肉だと思っていました。
でも、いま食べている鹿肉に、あの匂いはありません。臭みを消す下ごしらえをしているからではなく、そもそも臭くならないように扱っているからです。血の匂いも、獣くささもない。牛でも豚でもない、その肉にしかない味だけが残ります。
変わったのは腕ではなく、山の中でやることを4つ決めたことだけでした。この記事はその4つの話です。もらった肉をどう扱えばいいか分からない、という人にも役に立つはずです。
「ジビエは臭い」の正体は4つある
臭いの原因は、ひとつではありません。現場で見ていると、だいたいこの4つに分かれます。
1. 抜けきらなかった血
血液は傷みが早く、独特の金属的な匂いを残します。放血が不十分だと、その血が筋肉のなかに留まったまま時間が経ちます。
完全に血を抜くことは、どうやっても不可能です。それでも「どれだけ早く、どれだけ抜けたか」で、仕上がりは目に見えて変わります。切ったときの断面の色を見れば、抜けているかどうかはすぐ分かります。
2. 消化管の中身
これが一番きついやつです。内臓を出すときに胃や腸を傷つけると、中身が肉に触れます。こうなると、洗っても匂いは残ります。
加えて、内臓を入れたまま時間が経つと、腹の中から発酵が進みます。外気が冷たくても、腹の中は温かいままです。
3. 下がらない体温
見落とされやすいのがこれです。仕留めた直後の鹿の体温は、人間よりも高い。その状態を放置すると、肉のなかで細菌が増えていきます。
厚生労働省の「野生鳥獣肉の衛生管理に関する指針」でも、放血・内臓摘出・冷却を速やかに行うことが求められています。安全のための基準ですが、味の話としても同じことが言えます。冷やすのが遅い肉は、臭い。
4. 個体差(これは避けられない)
発情期の雄は、時期によってどうしても独特の匂いをまといます。これは処理の丁寧さではどうにもなりません。
ここは正直に言っておきます。すべての個体が同じように旨くなるわけではない。ただ、1〜3は完全に人間側の問題です。ここを潰すだけで、大半の「臭い」は消えます。
山でやっている4つのこと
味の八割は、家に着く前に決まっています。持ち帰ってから挽回できる部分は多くありません。
止め刺しは、速く確実に
暴れさせる時間が長いほど、体温は上がり、肉は傷みます。苦しませないことは倫理の問題であると同時に、そのまま肉の質の問題でもあります。
ここで迷いが出ると全部が後ろにずれるので、道具は「確実に届くもの」を選んでいます。

COLD STEEL ブッシュマン 95BUS
中空ハンドルに柄を差せば槍になり、そのままなら鉈として使える。構造が単純なぶん洗浄も研ぎも楽で、止め刺しの安全度と手際が一段変わった。SK-5高炭素鋼・一体成型・刃長170mm。
血抜きは待たない
止め刺しの直後に放血します。ここで「あとでまとめて」と考えると、その分だけ確実に落ちます。
地形が許すなら、頭を下にして重力を使います。水場が近ければそこまで運んでから作業したくなりますが、放血だけは運ぶ前に済ませたほうがいいというのが実感です。
内臓は、傷つけずに、早く
急ぎながら丁寧に、という矛盾したことをやる工程です。刃を深く入れすぎると腸に届きます。腹壁だけを切るつもりで、刃先の角度を意識します。
そして、この工程がいちばん手を切ります。鹿の毛は滑るし、手は血で濡れているし、刃は研いだばかりです。手袋は保険ではなく必需品だと思っています。

Schwer SlicePro 防刃手袋 PR1501(レベル9耐切創)
解体中や工作中に着けていると安心感がまるで違う。刃物を握っている時間が長い人ほど、この一枚が効いてくる。食品グレードなので肉に触れる作業でも使える。
とにかく冷やす
ここが一番差が出ます。内臓を出したら、体温を下げることだけを考えます。
沢の水に浸ける、氷や保冷剤を腹腔に入れる、風を通す。方法は状況によりますが、「早く冷える形」に開いておくことが共通しています。塊のまま置いておくと、中心部の熱がいつまでも抜けません。
冬場だから大丈夫、というのは油断です。外気温が低くても、腹の中は驚くほど長く温かいままです。
ついでに、自分の身を守る話
肉の話から少し離れますが、山に入る側の準備にも触れておきます。
鹿にはマダニが付いています。仕留めた個体に近づき、担ぎ、解体するあいだ、こちらはマダニにとって次の宿主です。SFTS(重症熱性血小板減少症候群)をはじめ、マダニが媒介する感染症は国内でも報告があります。
マダニに咬まれたら、自分で無理に取らないでください。口器が皮膚に残り、感染のリスクが高まります。皮膚科で除去してもらうのが確実です。咬まれてから数週間は発熱などの体調変化に注意してください。
用法・用量および使用上の注意は、必ず製品の添付文書に従ってください。
持ち帰ってからできること
家に着いた時点で、勝負はほぼ終わっています。それでもやるべきことはあります。
- まず冷やしきる。熟成させたいなら、その前に芯まで冷えていることが前提です。温かいまま置くのは、熟成ではなく腐敗です。
- 小分けにして、空気を抜く。冷凍焼けは味を確実に落とします。真空にできるならそれが一番です。
- 血の残った部分は無理に使わない。撃った箇所の周囲や、内出血している部分は思い切って落とします。ここを惜しむと、料理全体が引きずられます。
まとめ
鹿肉が臭いと言われるとき、その原因のほとんどは肉ではなく扱いにあります。
- 血を残さない
- 消化管を傷つけない
- とにかく早く冷やす
この3つを外さなければ、鹿肉は臭くなりません。
そうなると何が変わるか。下ごしらえで臭みを消す作業が、まるごと要らなくなります。牛乳に漬ける、酒で洗う、香りの強いもので隠す。あれは臭い肉を食べるための工夫であって、臭くない肉には最初から必要ありません。塩と胡椒だけで焼いて成立するようになります。
そして、人に出せるようになります。「ジビエは苦手」と言っていた相手が、何の肉か分からずに食べて、あとで驚く。あの瞬間のために、山でやることを4つ決めているようなところがあります。
「一度食べて苦手だった」という人が食べているのは、たいてい鹿肉ではなく、扱いが雑だった肉です。もし冷凍庫に眠らせているなら、それは臭い肉ではないかもしれません。一度、塩だけで焼いてみてください。
狩猟は、狩猟免許および狩猟者登録を受けたうえで、鳥獣保護管理法その他の関係法令と各都道府県のルールの範囲内で行ってください。捕獲した個体を販売する場合は、食品衛生法に基づく食肉処理業の許可が必要です。





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